イヴェールボスケ、について 3−3

何もないようで何でもある。

私にとっては、建築をやり続ける上で
一生寄り添い続けないといけないものと
石川の地で出会うことができました。

あまりに掴みどころのない難解な言葉ですが、
意外とそばにあったのかもと思うと同時に
改めて、現在地との距離に気が引き締まるような気持ちになりました。

ご馳走様でした🙏

イヴェールボスケ、について 2−3

店内に入ると、強くコンセプトを感じる。

きっと、強く、感じさせるつもりは無いのだろうけど
強く、感じさせねばどうしても場が保てないのは
今の世の中、なのかもしれない。

豊か、と言う言葉は
とても難解で、わかるようでわからない。
その広大さと奥行きの深さは想像できるが
実感することが少なく実体を捉えられない。
私にとって、扱いづらい言葉の一つです。

しかし、この
イヴェールボスケ(周辺環境を含む)には、確かにそれがあった。

建築的コンセプトや要素をスケッチするも、
言葉にならないものが多く
描いてみてようやく、豊か、という言葉の一端に触れたような気がした。

イヴェールボスケ、について 1−3

先日、石川県に行くことがあって
イヴェールボスケに行ってきました。
念願、の。

少し前に、堀部さんにあったとこというのもあってか
タクシーの車窓から見えてきたそのボリュームに
堀部さんそのものを感じるような佇まいでした。

きっと、楽しい現調をされたんだろうなと思いをめぐらせながら
この極上の立地・景色を楽しませていただきました。

こういうシチュエーションを経ると
我々が日頃扱う建築の狂暴性を感じてしまいます。
同時に守ることのできるものも建築であるともいい得るわけで
責任の重さを改めて知るのです。

職人起業塾フォローアップ研修2022

ここにきて、塾長と顔を合わせる機会が一気に増えています。
起業塾に行ってた頃が懐かしい、本当にあの頃とは
何もかもが変わりました。

生まれ変わったとうよりも、淘汰された、と言うところでしょうか。
そして、私もまたそのふるいにかけかけられるわけです。

年に一度のフォローアップ研修ですが、
今年はやっぱり圧が例年より強く私としては心地よいのです。

勉強会で神戸へ。

堀部さんが登壇されると聞いて、即決。
すぐに行くことは決めたものの、
再会させてもらえるとなると手に汗握るものです。

最上級のリスペクトはあるものの、
その佇まいには人を構えさせないといいますか
関わる両者が自然体でいれる、そんな空気が漂う訳です。

魔法のようなその距離感は、生み出される建築にも通じていて
結局のところ、生み出されるものは作り手の人間性が大いに出るのだと
再確認できた機会になったと共に
自分自身の未熟さや危うさにドキドキしてしまうのです。


またお目にかかれる日まで、
元気に成長していきます、と
個人的にも、団体的にも、思うのです。

高野山の家、落語家登場

落語家に見えるこの背中。
いつもお世話になってる造園屋さんです。

作品と呼ぶかどうかはさておき、
出来上がったものたちの良し悪しは見た目や価格なんかで計られがちですが
絶対に忘れてはいけないのが、(過程)と(人)です。

ポジション柄、過程は嫌でも目に入ります。
表も裏も知る訳です。

そして、作り手である工務店の私たちは
半永久的に出来上がったそれらと守り付き合っていく訳です。

その場だけ良ければ、などとは思えるはずもなく
そこらへんの思いを共有できるこの背中の持ち主なんかには
心の底から信頼できるのです。

羽曳野の家、基礎断熱

訳あって、このタイミングで基礎断熱。
いつもと勝手が違っていても、心強く工事は進みます。
影が映えるいい空間です。
浮かんが見え始めるのはそろそろです。

高野山の家、壁

写真の撮り方が変わる。
自分自身でも、撮影したものを見返すとたまにそう思うのです。

心象が写るだなんて言うつもりはありませんが、
やっぱり何かが影響するのかな、と思うのです。

左官仕上げが色っぽく感じるのは私の変人たる所以かもしれません。

棚卸し、について

ひとえに、棚卸しなどと言っても
弊社の場合は年末の大掃除級にハードなわけで
そんな棚卸しもフレッシュな面々と行ないました。

まあ、写真を見てもらえればわかるように
いささか、フレッシュと言うには貫禄じみたものもあったりなかったり。

人間、こうして変わっていくのですね。

高野山の家、キッチン

キッチンからのぞむダイニングとサブ動線。
それから、フレア。

ことあるごとに光に驚かされる高野山の家。
ここ、って時にふわあ、と光が差すのです。