0年 0月 の投稿一覧

岡山町の家、地縄はり

チャンスは一度きり。

目の前にあるそれはもう二度と目の前にあらわれない、
そう思えば絶対に逃さないだろうけれど、
またそのうちあるだろう、なんてたかをくくれば
平気で逃してしまうわけです。

教えてもらうことに溢れた日々を過ごしていた頃は
その貴重さに気づかず、
伝える側になった時にその軽率な雰囲気を
ずいぶん分厚く感じるようになりました。

正直なところ、
私もドキッとするところはありますが
あまりにも軽く、二度三度と同じ話をする私自身に
見る見られるの関係がひっくり返っているのだ、と感じる今日この頃です。

夢の家フェスティバル、打上げ

打上げ、など
下手したら、年単位でご無沙汰のような気がします。

そして、主催者さんの色が強く
内容がまた独特で
私にとっては待ってましたと言えるような

遊びじゃない、と嫌でも感じるような
緊張感もある打上げでした。



また、来年✨

羽曳野市の家、天井断熱施工前

天井断熱施工前の羽曳野市の家。

ぜひ施工時に現場を見たい、と
施主様にお声かけいただきました。

大きな意味での、家づくり。
施主様の興味は人それぞれですが、
私の目の前を当たり前に通り過ぎていくありふれた日常は
誰かにとって重要なシーンなのかもしれないな、と。

旭区の家、内装工事

内装工事が始まりました。

新築工事の最終章へ突入。
個人的に課題の多いバトンタッチでしたが、
すべての者と共有するのは難しいところです。

イヴェールボスケ、について 3−3

何もないようで何でもある。

私にとっては、建築をやり続ける上で
一生寄り添い続けないといけないものと
石川の地で出会うことができました。

あまりに掴みどころのない難解な言葉ですが、
意外とそばにあったのかもと思うと同時に
改めて、現在地との距離に気が引き締まるような気持ちになりました。

ご馳走様でした🙏

イヴェールボスケ、について 2−3

店内に入ると、強くコンセプトを感じる。

きっと、強く、感じさせるつもりは無いのだろうけど
強く、感じさせねばどうしても場が保てないのは
今の世の中、なのかもしれない。

豊か、と言う言葉は
とても難解で、わかるようでわからない。
その広大さと奥行きの深さは想像できるが
実感することが少なく実体を捉えられない。
私にとって、扱いづらい言葉の一つです。

しかし、この
イヴェールボスケ(周辺環境を含む)には、確かにそれがあった。

建築的コンセプトや要素をスケッチするも、
言葉にならないものが多く
描いてみてようやく、豊か、という言葉の一端に触れたような気がした。

イヴェールボスケ、について 1−3

先日、石川県に行くことがあって
イヴェールボスケに行ってきました。
念願、の。

少し前に、堀部さんにあったとこというのもあってか
タクシーの車窓から見えてきたそのボリュームに
堀部さんそのものを感じるような佇まいでした。

きっと、楽しい現調をされたんだろうなと思いをめぐらせながら
この極上の立地・景色を楽しませていただきました。

こういうシチュエーションを経ると
我々が日頃扱う建築の狂暴性を感じてしまいます。
同時に守ることのできるものも建築であるともいい得るわけで
責任の重さを改めて知るのです。

職人起業塾フォローアップ研修2022

ここにきて、塾長と顔を合わせる機会が一気に増えています。
起業塾に行ってた頃が懐かしい、本当にあの頃とは
何もかもが変わりました。

生まれ変わったとうよりも、淘汰された、と言うところでしょうか。
そして、私もまたそのふるいにかけかけられるわけです。

年に一度のフォローアップ研修ですが、
今年はやっぱり圧が例年より強く私としては心地よいのです。

勉強会で神戸へ。

堀部さんが登壇されると聞いて、即決。
すぐに行くことは決めたものの、
再会させてもらえるとなると手に汗握るものです。

最上級のリスペクトはあるものの、
その佇まいには人を構えさせないといいますか
関わる両者が自然体でいれる、そんな空気が漂う訳です。

魔法のようなその距離感は、生み出される建築にも通じていて
結局のところ、生み出されるものは作り手の人間性が大いに出るのだと
再確認できた機会になったと共に
自分自身の未熟さや危うさにドキドキしてしまうのです。


またお目にかかれる日まで、
元気に成長していきます、と
個人的にも、団体的にも、思うのです。

高野山の家、落語家登場

落語家に見えるこの背中。
いつもお世話になってる造園屋さんです。

作品と呼ぶかどうかはさておき、
出来上がったものたちの良し悪しは見た目や価格なんかで計られがちですが
絶対に忘れてはいけないのが、(過程)と(人)です。

ポジション柄、過程は嫌でも目に入ります。
表も裏も知る訳です。

そして、作り手である工務店の私たちは
半永久的に出来上がったそれらと守り付き合っていく訳です。

その場だけ良ければ、などとは思えるはずもなく
そこらへんの思いを共有できるこの背中の持ち主なんかには
心の底から信頼できるのです。