宇治市の家では、内装工事が始まりました。
大工さんから内装屋さんへバトンタッチです。
内装屋さんが登場すると、
工事の終わりのにおいが漂い始めると
個人的に思っていて、少しずつ淋しくなり始めます。
吹き抜けに室内窓。
光の落ちる、いい空間になりそうですね。
巽北の家、照明
数か月前にお引渡しさせてもらった巽北の家に行ってきました。
庭やアプローチの工事も終わり、
しばらく足の遠のいいた巽北の家ですが
久しぶりに入らせていただいた内部には
引き渡し時にはなかった照明が設置されていました。
職業柄、いろんな素材や商品を目にする私たちですが
改めてお施主さんの好みや求めていたものに触れる機会でした。
ふいに出会ったものですから、
つい興奮して撮影させてもらいましたが
時間帯もあってか、ものすごくいい雰囲気でした。
発見。
和泉市室堂町の家、外部工事
室堂町の家の
大工さんによる外部工事が大詰めをむかえています。
室堂町の家の外壁は、
様々な素材と工種の交わる通常よりも難易度の高いように感じておりましたが
施工したいただいた大工さんにはものすごく丁寧にさわってもらえて
心の底から有難い気持ちでいっぱいです。
工期や品質もあって、いろいろ思い通りにいかないことも多い中で
言葉にせずとも私たちの大事にしているところを共有してもらえるのは
当たり前ではない、と思わさせてもらえるいい工事でした。
※やりたいこと、について
ある出来事に触れて、感じたことを。
意識・無意識かは別として
やりたいこと、は誰にだってあります。
論点は、やりたいことの “できる” “できない” の違いが
どこで発生しているか、です。
“できない” 理由で考えられるのは
経験・力量・時間・お金・人手・気持ち、などが考えられます。
どうしても、“できる”
どうしても、実現させたい案件なのであれば
“できない”理由や条件を潰していけば、自ずと“できる”ようになる、と
私は考えています。
経験が乏しく力量がないのなら、
時間をかけてレベルアップすればいいわけですし、
時間や人手がないなら、
お金をかけて“できる”誰かの助けを求めればいいわけです。
気持ちが足りないなら、気持ちを込めてもらえるように、
日頃のかかわり方や在り方を意識してまわりの人と接すれば、
きっと気持ちを込めてもらえる人になるはずです。
やりたいやりたいと、いくら強引に話を進めても
どこかでしわ寄せやむりがでてくるものです。
麦わらのルフィが魅力的なのは、
仲間に気持ちを込めてもらえる人というところのはずですよね。
宇治市の家、天井仕上げ
勾配天井の仕上げ材の施工が終わりました。
いろいろ、ありまして
唯一無二の天井になりました。
お施主さんをはじめ、
計画した設計士さんや施工していただいた大工さんも
声を上げて気に入るほどの仕上がりになりました。
良くも悪くも、
もう二度とできない仕上がりに、
あまり経験してこなかった気持ちになっています。
着地して、一安心です。
※夏の終わりのハーモニー、について
私のような人間にも、
名曲というものの凄みというのは、
“ なんとなく ” わかるわけでして
中でも、「夏の終わりのハーモニー」などにそれを感じると
もらった齢を突き付けられるます。
かつては、夏の歌でも
もっとガチャガチャしたものを好んでいましたが
食の好みが変化するように、
耳にもその変化を感じるわけです。
夏の終わり、にはまだまだ遠い時期ですが
せめて耳には涼し気で淋しいもので
暑過ぎるこの季節乗り切っていきます。
ちなみに、私は圧倒的な冬派です。
https://youtu.be/WCSeiSOaHxY
和泉市室堂町の家、フロアはり
二種類目のフロアの登場です。
数種類の床材を用いる室堂町の家では、
材料や貼り方等で居室の雰囲気や用途が色分けされています。
また、
外構もふくめた高さのコントロールもあって
完工時には外部への領域を感じられるんじゃないかと
個人的に楽しみにしております。
椅子に腰を掛けるのか、
床に座るのか、
見える景色も広がる領域も実に様々です。
円通寺に呼ばれてる気がします。
京田辺の家、草刈り
基礎工事が始まる、その前に
草刈り作業をしてもらいました。
草に隠れた部分がようやく見えました。
基礎工事の資料も準備して、いよいよ着工です。
宇治市の家、天井仕上げ
宇治市の家では、
大工工事による仕上げ工事が進んでいます。
仕上げ工事といえば、基本的に
内装屋さんや左官屋さんの手によるものが多いですが
木材を扱う場合は大工さんに登場してもらいます。
そして、
宇治市の家ではいつもと少し違うアプローチの仕上がりになっており
仕上がりを見るのが楽しみです。
城山台の家、擁壁工事、その後
光射す、城山台の家。
地鎮祭から幾分時間が経ちましたが、
ようやく工事の準備に入れそうです。
今動いている別現場が近くになることもあり、
こそこそと擁壁工事の進捗を覗いておりました。
自分の影響力の外、というのは
いつも歯がゆいもので
目の前にあっても、遠いわけです。
雪月花、というわけです。