まもなく網戸が取り付けられます。
窓の外には、夏の空。
立地や様々な条件から (できる・できない)があるわけですが
朝も昼も夜も、宇治市の家は見事にあかるい。
結果もよかったですが、
なによりそのプロセスが良かった。
こういう仕上がりになるのも納得の、家づくりでしたね。
引渡しまで、気を引き締めていきましょう。
0年 0月 の投稿一覧
和泉市室堂町の家、内装工事終盤
室堂町の家では、内装工事が終盤に入り
仕上がりが見えてきました。
写真は、建具ではなくロールスクリーンになったところ、です。
現場の人の手が仕上がりに与える影響を強く感じますね。
※FUJI ROCK FESTIVAL ’21、について
コロナの影響もあって、軒並みライブやフェス、
あらゆるイベントが中止されてましたね。
音楽を愛する私としては、もはや中止や延期で枯渇していく心は
配信ライブなどでは到底埋まるわけがないのです。
そんな中、 FUJI ROCK FESTIVAL ’21 だけが開催され
同時にいくつかのライブが配信されたわけです。
前述した配信ライブと異なり、フェスならではの
タイムスケジュールに踊らされるあの感じを得ることができ、
また、大きな会場で見ることのできないアーティストの表情に触れることができました。
齢を感じる今日この頃、
こういう配信が初めて有難いと思えた出来事でした。
近年の私のルーティーンを抑え込まれ、
ワナワナする心を多少、地に足付けてくれるような三日間でした。
※古橋亨梧、について
幼稚園の頃から高校まで、サッカーをしていた私にとって
サッカー観戦は、プレイヤーや監督たちの人生に触れているのと同義です。
前にも書きましたが、人の背景が見えてくると
より、サッカーを楽しめたりもするのですが
今の(古橋亨梧)がまさにそれで、
スコットランドでの大活躍をみるに、痛快の一言です。
シンデレラストーリー、が嫌いなわけではありませんが
この選手も、ある種のシンデレラストーリーであるわけです。
ただ、数年前までJ2にいた選手が、イニエスタやビジャとの出会いもあってか
数か月前に日本代表に選ばれて、海外移籍、今や無双状態。
にじみ出る謙虚さも相まって、好感が持てるわけです。
今でこそ、芝生を走ることもなくなりましたが
かつてのスパイク越しに足の裏に感じてた、あの感触が
スコットランドを走る古橋を見ていて蘇るわけです。
人に影響を与えられる仕事に魅力を感じて家づくりをしていますが、
走り姿一発で人に与えられる何かがあるんだな、と気づかされます。
京田辺の家、中間検査
京田辺の家では、中間検査が行われました。
上棟後、基礎断熱や付加断熱の施工と並行して
構造金物の施工も進めていただき、無事に検査パスできました。
ありがとうございました!
※バランス について
先日の木鶏会の発表時に、二項定理について書いたんですが
改めて、すべてはバランス。
むしろ、バランスさえ取れれば、他はどうでもいい、
そのくらい、バランスって大切だな、って感じました。
どちらかだけの片思いではだめで、
どちらも思う、両想い。
そういうときに、いい家ができる。
逆か。
いい家だな、と思うときはだいたい両想い。
和泉市室堂町の家、天井板貼り
様々な人間模様も感じ入る天井板貼り。
はかる人、切る人、貼る人、動かす人、
色々と見えてくるわけです。
きれいに貼っていただき、お施主さまにも喜んでいただきました!
※竜とそばかすの姫、について
いつしか、夏に細田守作品が上映されるようになって
今年もご多分に漏れず、楽しませていただきました。
賛否に関係なく、細田作品が映画館でかかれば劇場に足を運ぶ、というのが
同じ時代に生きれた ( 贅沢さ )( 有利さ)、だと思っています。
かつて?のジブリ作品のような、そういう感じでしょうか。
初めて彼の作品に触れたのはTVでみた(アニメ版 時をかける少女)でした。
大林味もなければ、原田知世も登場しません。※実はしてる
ですが、そこに漂う原作のにおいにものづくりの本質をみたような気がして、
劇場でかかる時はいまだに足を運びます。
オマージュとパクリのその違いや、リスペクトやメタファーとか、
そういうものと出会ったのもこの作品でした。
変わっていくものと変わらないものを目にしながら、
同じ時代を生きる私がどう変わっていってるのかを体感できる作品です。
※いい、について
いい、と直感的に感じる場合
それがなんでいい、のかを考えることは
必ずセットで
なんとなくいい、ものは絶対に再現出来ないし
それに挑まなければ
永遠にものづくりの蚊帳の外、
傍観者であるしかないと思う。
勿論、答えや結論に達せず
なんでいいのかわからないけどいい、という
意見になることも少なくないが、
考えたのか、どうか
向き合ったのか、どうか では
その差は激しく、その小さな小さな積み重ねは
私たちが何かを経る度に差となって出てくる。
この写真、またはこの人、
いいです。